経営理念

経営理念:資源を大事にし、そして全世界の資源問題を解決する

全世界の資源問題を解決する

 資源とは、水・食料・鉱物等人々を豊かに導く大切なものです。我々の考える資源問題とは「紛争鉱物」です。本来、人々の生活を豊かにする鉱物がなぜ貧困を生み、紛争を起こしているかを考え、この問題に真剣に取り組んでいきます。
紛争鉱物対象国とは、コンゴ民主共和国(République Démocratique du Congo)と国境を共有する、アンゴラ、ブルジン、中央アフリカ共和国、コンゴ共和国、ルワンダ、南スーダン、タンザニア、ウガンダ、ザンビアの9か国です。
紛争鉱物(3TG)とは、スズ(Tin)、タンタル(Tantalum)、タングステン(Tungsten)、金(Gold) です。

 豊かな自然(世界遺産・自然遺産が5か所)と豊富な鉱物、錫石(スズの鉱石)・ウォルフラマイト(タングステンの鉱石)・コルタン(タンタルの鉱石)・金・銅・コバルト・ダイヤモンド・カドミウム・黄金・銀・亜鉛・マンガン・錫・ゲルマニウム・ウラン・ラジウム・ボーキサイト・鉄鉱石・石炭等があるコンゴ民主共和国は、楽園でもあり地獄でもあります。

 コンゴ民主共和国は、日本の約6.2倍の広大な国土を有します。その秩序は、国連コンゴ監視団(MOMUC)によって維持されていました。 そして、武装勢力の資金源となっているのが、鉱物資源です。武装勢力は、住民に鉱物を採掘させて資金源としており、その鉱物を購入することが、結果として武装勢力に資金提供することになってしまいます。この流れを断ち切ることで、紛争鉱物の購入による武装勢力への資金提供を避けることができます。さらには、資金面から武装勢力の弱体化を図り、状況が改善することが期待されています。

 レアメタル(タングステン、炭化タングステン、モリブデン、タンタル、白金)を取り扱う我々が、紛争鉱物の事実を発信していきたいと思います。一般市民が殺害、暴力、強奪、徴用等の犠牲になっています。また、栄養不足や病気により死と向き合っています。解決に向けて、何もできず虚しくもどかしい思いです。

 コンゴ民主共和国の豊かな自然と鉱物は国民の為にある。そのためには、安定した政治と国家の機能を果たすことが重要です。我々が望むことは、コンゴ民主共和国の人々が立ち上がり、国に正義をもたらし一人の人間として生きていくことです。環境が整うまでは時間が掛かると思います。我々には出来ない平和への道のりは、国連・PKO等の国際機関に委ねなければなりません。我々にできることを1つ1つ丁寧に行っていきます。

 改めて、我々は紛争鉱物を取扱わないことを宣言します。コンゴ民主共和国が有する鉱物は、コンゴ民主共和国国民のものであり、略奪されたり個人や武装勢力の為のものではありません。


コンゴ民主共和国の複雑な過去

 MONUCは、1999年の国連安保理決議によって発足した世界最大の国連平和維持活動(PKO)の実施組織で、コンゴ全域に約18,000人が活動していました。
 旅団長は、コンゴ東部を拠点に活動を続けるルワンダのフツ系武装勢力「ルワンダ解放民主軍(FDLR)」がルワンダ大虐殺の実行犯だと断定しました。FDLRとは、1994年のルワンダ大虐殺の後、ルワンダ新政権の報復を恐れてコンゴ領内に逃げ込み、そのまま生き残り続けているフツ人系の武装勢力です。

 1960年の独立後のコンゴの歩みを振り返えります。1997年9月7日、モロッコの首都ラバトの軍病院で、前立腺がんを患っていた一人の男が息を引き取りました。男の名はモブツ・セセ・セコ。享年66歳。
 死去のおよそ四カ月前まで、ザイール(現コンゴ民主共和国)の大統領でした。「反共の砦」と「資源の宝庫」としてモブツの最大の後ろ盾は米国でした。ウランや金、ダイヤモンド、スズ、銅の鉱山があり、コバルトは世界の埋蔵量の65%を占め、タンタル、タングステンなどもありました。
 どちらにしても、コンゴの住民の意思や都合とは全く関係のない理由により、この大統領は米国の手厚い庇護を受け、その必然的帰結として国民のための開発は放棄されていました。

 1996年5月、モブツの権力基盤の弱体化を見透かした東部の反政府勢力「コンゴ・ザイール解放民主勢力連合(ADFL)」が首都キンシャサへ向けて侵攻してモブツ体制は終焉迎えました。しかし、コンゴの人々にとってそれは新たな苦難の始まりにもなりました。モブツ体制崩壊後にコンゴの人々を襲った苦難は「アフリカの世界大戦」と呼ばれた大規模紛争と、それに続く秩序の全面崩壊でした。

 コンゴ情勢混乱の引き金を引いたのは、東隣の小国ルワンダで、1994年に発生した大虐殺でした。ルワンダは1962年の独立後、政治の中枢にあったのはフツ人であり、1990年から隣国ウガンダに拠点を置くツチ人中心の反政府勢力「ルワンダ愛国戦線(RPF)」との間で紛争状態が続いていました。 1994年4月、政権のフツ人過激派により、ルワンダ大虐殺が実行されました。軍部による計画的襲撃、さらにはラジオに扇動された民衆の参加により、国内のツチ人の殲滅が実行され 、約3カ月に及んだ虐殺の犠牲者は100万人を超えたと推定されています。RPFがウガンダから国境を越えて首都キガリに侵攻し、政権奪取したことで虐殺は終息しました。

 虐殺を実行した政権と軍のフツ人強硬派、さらに報復を恐れる一般のフツ人は国境を越えてコンゴ東部に逃げ込み難民となりました。コンゴ東部には「バニャムレンゲ」と呼ばれるツチ系住民が住んでいました 。
 反モブツ連合が、ローラン・カビラ率いる「ADFL」です。ADFLが1997年にモブツ体制を打倒し、議長のカビラがコンゴの新大統領となりました。カビラ大統領は 、ルワンダ政府がバニャムレンゲを通じて自らの政権に過度に影響を及ぼすのを恐れ、政権発足から間もなくすると、モブツ前政権と同様にバニャムレンゲを排除するようになりました。
 そして方針を180度転換し、今度はツチ人主体のルワンダ政府と完全な敵対関係にある東部のフツ人系武装勢力を支援します。こうしてADFL内のバニャムレンゲ・グループは1998年8月、カビラ政権に反旗を翻しました。反カビラを掲げるバニャムレンゲ勢力は他の武装勢力と新たな連合を組んで「コンゴ民主連合」という反政府武装勢力となり、ルワンダとウガンダがこれを支援しました。一方、アンゴラ、ジンバブエ、ナミビアの三カ国は、それぞれ自国の安全保障上の理由からコンゴ政府側について参戦し、内戦は 「アフリカの世界大戦 」と言われる大規模な紛争に発展しました。

 1994年のルワンダ大虐殺の後、コンゴ領内に逃げ込んだフツ系ルワンダ人の武装勢力が、コンゴ政府の庇護の下にほとんど無傷のまま残りました。東部を中心に紛争は続きます。
 2002年10月、政府、反政府勢力各派、コンゴに派兵している周辺国政府の間で調印された和平協定に基づき暫定政府が樹立されると、2001年1月に暗殺されたローラン・カビラ大統領の後継者となった息子のジョゼフ・カビラ氏が暫定大統領に就任しました。

 2003年7月、合意に基づき暫定政府が正式に発足しましたが、暫定政権はその後も国内すべてを掌握できず、引き続き戦争状態が続きました。民族対立とも相まって東部では虐殺・略奪・強姦の頻発する一種の無法地帯となりました。
1998年から続くこの大規模な紛争で起きた虐殺・病・飢えで死んだ人の数は、500~600万人ともされています。
 その後、和平合意により2005年に大統領選挙と国民議会選挙を行い、民主的政権に移管していきました。

 2006年2月18日に新憲法が発効され、2006年6月に選挙が実施されました。大統領多数派連合から立候補したカビラ暫定政府大統領の得票数が44.81%を獲得。政権を継続することが決まり、2016年の現在もジョセフ・カビラ氏が大統領を務めています。
 コンゴ民主共和国の国民は、未だ毎月およそ45,000人が亡くなっていると言われており、暴力と紛争が続いています。紛争鉱物の問題の他にも感染症や飢餓、民間人を殺害する武器の運び屋や、資源の破壊、性的暴力など様々な問題を抱えたままです。

参考文献
・経済産業省ホームページ 「資源有効利用促進法」 
・経済産業省ホームページ 「米国における紛争鉱物に関する開示規制の概要」
・ルポ 資源大陸アフリカ―暴力が結ぶ貧困と繁栄 
 白戸 圭一 (著)  東洋経済新報所
・世界最悪の紛争「コンゴ」 米川正子(著) 創成社
・ウィキペデア 「コンゴ民主共和国」

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